2007/08/19

勝たせるとは?3

~根拠の無い自信・確信~

何事でもそうだと思うがポジティブな感覚を持ち続ける事はすんごい重要な事だと思う

ことフットボールに関しては番狂わせを期待しやすいスポーツだ

よく上位・下位なんて言葉で表現されるが、

90分の恐ろしさを知ってる身であればそれが無意味な表現だって事は容易く理解出来るハズ

ギリギリの闘いの勝負を分けるキーは気力

上手い選手が居ようがコントロールに秀でた指揮官が居ようが、

凡戦カードと揶揄されようが大一番ともてはやされようが、

「気」が弱ければミスが出るし、「気」が強ければ勝つと

・・・・・・・・・・・・・

見てる側も同じ

精一杯応援したのに、勝つ為の何かが足りずに負けた。と思ったとする

それは多分、そのチームに対して信じ切れる気力が足りてなかったり、

「よし。行ける。」って思いながらもどっかで疑いを持って応援したからに他ならないと思う

PKを取られても入らないと信じ切る

相手にリードされても追いついてひっくり返せると信じ切る

傍観者になったらその時点で負けだと

・・・・・・・・・・・・・

自分の熱い想いを選手やクラブに伝えたいという気持ちが膨らんだなら、

何か行動に出るのが普通のファンの衝動だと思う

見方は人それぞれ、ホントにそうだとは思うんだけど

そのクラブに対して愛着があるなら。。。

いつも、何かが足りないと、

これでもまだ100%じゃない、120%じゃないと。。。思ってみる。

そういうひたむきさって大事じゃないか?

選手やクラブも見る側に求めてるんじゃないだろうか?

満足したら進歩はない

・・・・・・・・・・・・・

よく、スタジアムに来て応援して下さいと選手のコメントが出るが

それは俺達選手の味方になってくれっていう意味なんだと

俺自身はいつからか捉えるようになった

TVを見てて支える事は出来ないし、その場に居ないのに支える行動や声を送る事は出来ない

スタジアムで送る念と、違う場所で送る念は意味が違う

信じる気持ちを塊で送れるか、代償を怖がって選手や他人任せにするか

究極の選択を乗り越えて、選手と闘う選択をした事で得られる妙な満足感に邪魔されず

ただ、それだけ(勝たせる事)の事に無心になって、

自らのほんのちっぽけな確信を、一緒に闘う仲間と共に最大限の確信の塊にしてピッチにぶつける事が出来るかどうか

でもさ

誰もがずっと10代、20代でいられるわきゃないじゃん?

だから犠牲に出来る事がだんだんと減ってきた時。。。またはそう感じてきた時。。。

自分の出来る限りの方法で参加してみる

一度でも限界にチャレンジ出来たなら、その記憶や熱い心は簡単になくならないって

・・・・・・・・・・・・・

まぁ、

当然ながらそういう経験をしなきゃ理解出来ないとかいうつもりはないし

あくまで自分の場合はこうだったっていう、ヒントなんで。

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その重要性が痛いほど理解出来たのは、

ヤバイ思いをしながら異国で「支える事」の本質を身体で理解した何年もあと・・・

ワールドカップにミーハー的な要素が加わった日本でパブリックヴューイングなるものが広まった頃だった

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2007/06/28

勝たせるとは?2

声・コール【叱咤激励】

○同点になった時

大宮のスタンドはビハインドで追いついても沸く

決めたワケだから至極当然のリアクションなんだけど、いわゆるゴール裏人種(この表現はキライなんだけど)と自覚して

ゲームに臨んでる立場からしてみれば、終了の笛を聴くまでは油断は出来ないっていう意思表示をしなきゃダメだと思う

勝負を振り出しに戻すゴールが決まっただけで喜ぶ人等があまりに多い

応援をリードする立場からしてみれば歓喜が治まるまで、さあこれからって雰囲気にもってくのは時間が掛かる

特に象徴的だったのは2005年12月29日の85回天皇杯準決勝。冨田がロスタイムで決めてみせた時。

勝ったように沸くスタンドに前から吼えた。「貴様ら勝ったつもりかよ!決めさせたつもりかよ!」

初めての舞台で相手は浦和。応援やら声以前にゲームに見入る人が多くってさ

しかも劇的って要素があったもんだから仕方がないっちゃ仕方がないんだけど、

あれはさすがに闘ってるって言える状態じゃなかった

ワクワクしちゃってて、他人事のトヨタカップを見てるような状態だった

どんな状況になろうと気持ちを張ってないと。そりゃあどんなに望んでも結果は逃げていくよ

ああいうところが大宮スタンドの凄く弱い部分

ゲーム前に俺がいっくらアピールしたところで「余計なお世話」だったワケだし

やっぱこればっかは自らが経験しないと理解出来ない領域

まだまだ悔しい想いを出来るだけ多くのファンが積み重ねないと、湧き出てこない感情

昔、セルジオが言ってたけど天国と地獄を見たNo.12がサポーターになれる・強くなれるってのはマジでその通りだ

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○失点した時

俺が前に立ってた時は絶対やらなかったし、過去のHPでも数回書いたけど、

闘いの中に自分が入りこんで勝負を左右する瞬間に出くわせば声にならない声(悲鳴?)を上げているはず

やられて即、「大宮」やら「アルディージャ」やらコールすんのはどうしても反応出来ない

一瞬沈黙したとしてもマークをずらされた・パスを通させてしまったようなクラブに致命傷を負わせた選手への「叱咤」の声や、

FWへの「激励」の声が出てもいいだろ?って事

決めた時とおんなじで、そういう瞬間にいつも同じ反応すんのは俺は不可能。悔しさが先で怒りが先

・・・・・

これは仲間内でも認識が違う

応援をリードする立場の集団の意見が分かれちゃマズイだろっていうことで、

オカシな話なんだけど、決めた・決められた時の反応を統一しようって時期も過去にあったくらい

やられて奮起を促すのは理解出来る

でも、事故みたいなやられ方以外は何か致命的なミスや動きをしたからゴールを奪われるワケであって

その直後に後押し名目でコールする気に俺はなれない。悔しくねぇのか?と

奮起を促す「激励」であれば暫く様子を見て、マイボールになってから押す歌を歌ったりだとか、

攻めの組み立てが上手くいくまで、強弱(長短混ぜた)の段階を踏んだチャントを繰り出すとかさ

キャプテンは「下向くな!」的な声をチームメートに掛けるんだろうけど

獲らせる為に張る神経(ファン)と、獲りに行く為に張る神経(選手)って違うと思うんだよ

ピーンッと張ったものは同じだろうけど、見る側とやる側の感覚ってそういう場面では違うと思う

獲らせる為に緩まないように、張り詰めさせ続けたモノ(例えば・・・我慢の時間や声の工夫)が

一瞬にして崩されるワケだ

信じて疑わずにそれを続けてきた側はたまったもんじゃない。

一瞬、ゲームが負けて終わった時の感覚くらいに俺は襲われるけどね。負けて即、次は頑張れと拍手するようなもんだと

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せめて

センターサークルにボールが置き直されるまでは動けない位が普通じゃないかと

で、アタマん中でやられた経緯を整理して獲らせる展開を組み直して初めて声にする

選手やベンチと一緒に闘うのが声出し人間なんだけど「叱咤激励」が含まれてる声を投げていかないとさ

一緒に闘いながらもピッチに参加出来ない身としては、

より効果的にゲームに参加する手段をいつも、もしくは何度も、考え直しながら表現すべきだと思う

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「取った」と「獲った」の違い。「戦う」と「闘う」の違い。

自分はその日のゲームで何を大宮に望むのか。

目標の大小問わず、望む所へ辿り着きたいなら考えてみてもいいかもしんないよね

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2007/06/16

勝たせるとは?1

ブーイング 【叱咤激励】

以外に思われるかも知れないが、俺個人は「ゲーム後に」ブーイングってのをした事がない

ずっと言って来た事ではあるんだけど、ブーイングって俺にとっては叱咤激励の手段であって、野次ではない

その意味を選手に通そうと思うからこそ、コレをやるのはゲーム中に限られる

レンジャーの仲間や、近場の誰かや、俺自らが歌やコールを始めても、

下らないプレーをした時点でコールや歌を止め、跳ねる事を拒否してブーイングしている

ミスしてもボールが動いてる場合はいつ取り返せるか解らないし、

ミスを取り返すべく気迫を見せてボールに詰め直しているかどうかによるけど

結果、その1プレーに競り負けた場合は警鐘の意味を込めている

つまらないミスが発端となってガタガタッとなって、流れを持っていかれて負けるパターンがあんまりにも多いからだ

勢いが必要だと思う時はボールをカットされようが何されようがそのまんま歌を続けてはいるんだけれども、

自分の感覚でブーイングの対象になった選手が次にボールを持った瞬間に必ず2本の指を咥えている

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昔からの大宮のスタンドの特徴としてゲームの結果に対して文句は飛ぶが、

ゲーム中のアマチュア並みのミスに対しては文句の声は漏れても意思表示がされる事はない

溜息が漏れたままいとも簡単に相手に渡ったボールを目で追いかけるケースがほとんど

要は立ち役にスタンドの意思表示が任されてきたってこと

俺が前に立ってた時はその視線を浴びる前に、次のコールや歌を始めてたんだけど、

果たしてずっとそういう状況でいいのかどうか。特に何年もスタンドに通ってる仲間のみんなはどう感じてる?

・・・・・

練習で繰り返したと思われる「約束されたプレー」でミスが出ると攻守に迷いが出る

そのミスにつけこまれて失点!なんてのは見飽きたシチュエーションだ

中盤の底からサイドに展開される攻めや、サイドDFがハーフラインを越えての攻めでミスが繰り返される事になると、

大宮が採ってる戦術からして手詰まりになるんで、そういう時にブーイングせざるを得ない

果たしてスタンドがミスを指摘した選手がそれに気付くには、

また、気付かせて傷が広がらないうちにすぐ前を向かせるにはどうしたら一番効果的なんだろうか?

出来るだけ多数の声をミスした選手に「その場で」ぶつける事だと思う

それには出来るだけ多くの目が意識の足並みを揃えてる必要があるし、

同じ感覚を準備の段階(ゲーム前)で共有出来てるってのが重要に思う

だから今季は応援の趣旨についてなるべく多くの仲間のみんなに説明するべく動いている

でもこれはゴール裏の仲間達に対してレンジャーという集団ではトータルな意見・主張である事は

間違いないんだけれども、心の中では個人個人意見が分かれている。つーか分かれて当然の事とも思う

説明した所で受け取る方の考えも様々であるワケだし

ならいっその事・・・とも思うが、応援をリードしている立場である以上、やっとかなきゃいけないこと

判断は当然ながら説明を受け取ったカテ4のみんなに委ねてはいるが。。。

・・・・

ってのはね。応援って説明されてやるもんなのかと俺は個人的に思うワケよ

スタンドに立つ人それぞれが自分の考えなり主張を持って、それをカテ4仲間に意思表示してかなきゃ。仕掛けなきゃ

いつまで経っても個々がヘコタレずに強い気持ちを持つスタンドにはならない

ヘコタレなければ、カテ4以外のファンにも気持ちの面で訴えかける何かが生まれると思うし

・・・・・

次は同点にした時とか、点を取られた時のリアクションについて少し。。。

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2007/06/10

橙と紺

「何でレンジャーさんって、紺なの?」

「目立ちたいんでしょ」

「クラブカラーのオレンジを使わないようにしてカッコつけてる」

最初の問いかけ以外は、質問と称してメールで来たモノに全て「そうだよ。文句あるか?」と答えていた。

今じゃ聞かれる対象ではなく、俺らに対する批判の材料にもならない程度だろうか

・・・

「クラブのメインカラーはオレンジ、クラブのセカンドカラーはネイビー、ちょっとアクセントに白地を使う」

エンブレムが決まる際にクラブのmoguにそう言われた

NTT関東ではネイビーが水色に近い青だったんで、ちょっとオシャレに発展させて橙が映える色を取り入れたんだと思う

セカンドカラーを使うキッカケは、レンジャーがゴール裏で活動するにあたってメインの存在になってはいけないから

ていうのは、俺らがメインの存在になり続ける事を選択した時点で応援スタンド全体の衰退に向かう事になる

ゴール裏で活動する集団に身を置いて(おっぱじめは確かに俺だが)いる以上、

良い時に目立ってはマズイ。悪い時に尻拭いをする為の集団でありたかった

どうせそういう対象・標的になるのを解りきってたし

影で支える事を目指すには何に於いても二番目の存在でなきゃいけないと言う概念がある

当然、一番目は選手っていう考え方での話しだ

集団としては単にそれだけの意識を貫いている

・・・

俺個人は

スタンドがクラブカラー一色に染めるのが選手の力になるんだという感覚からの先入観、

染めた事での応援本質の欠如、受けた側の感触の程度

ましてや一番目にオレンジだった清水の存在がある。

それと差別化する為にも大宮はオレンジ+ネイビーである事は重要な事だと思う

・・・

染める事に大宮ファンが満足されては困るっていうのが意図の中に加わっていた

よく、スタンドが○色に染まっていて大変美しい・・・的な表現があるが、

果たして本当に意味ある事なのか?っていう疑問がある

確かに選手は感動するらしい。見とれる程に綺麗だと

隆吾もピッチから見てそう熱望した事もあった

ただ

その色の波に、演出した側の意味や気持ちまではさすがに汲み取れないと本音を吐いた代表選手が居た

であれば応援する人間の存在意義ってなんなんだ?と思えるようになった

それじゃあ座席を塗り込んどきゃぁいい話じゃないかと

観客がその色で演出する事に意味があるといった人もいたが、

じゃあ演出の為に俺らは居るのか?っていう天邪鬼な感覚も芽生えた

俺の中でスタンドに90分、あるいは120分立つ意味ってのはメッセージを送り続ける為であって、

演出は二の次だ

ならゲーム前にでも趣向を凝らせばいい

ゲーム中に色を染めた所で満足しちゃえば、それ以上闘えない

染める事だけに対して労力を使うつもりはなく、あくまでトータルで応援ってものを考えている

・・・

それだったら「染めて闘う」をすりゃいいじゃん?

努力を放棄してるように聞こえるかも知れないが、こと大宮に関して考えれば

染める努力さえ並大抵の事ではなく、染めてもなお闘う状況を作り出すのは相当の犠牲を払う事になる

今の状況ではダメージさえ食らうだろう

染め尽くす事に全精力を注ぐんであれば、支えるアタマを持ちながら時期を待った方がいい

染めつくして、声援はゴール裏中心?大宮の観客意識じゃ出来るワケがない

それが俺の結論となった

・・・

スタジアム全体の感覚からすると染める美しさは認めてもらいやすいが、

闘わなければいけない事の重要性は認めてもらいにくい

だって観客全員が立って声出して、ってやるのは不可能だし。

全世界見回してもかなり近い状況は確かに存在するが、そんなスタンドは無い。

個人のスタイル、つまり「ゲームの見方・応援の仕方」について主導者が言及するのは

それこそ、応援の強制になる。見たいように見るべきだ。いい迷惑だし、余計なお世話だ。

だからといって両立を諦めてるハズはなく「楽園でのスタンディングオベーション」を思いついた

違ったアプローチながら目指す目標はブラさない。そういう意識を持っている

楽園から離れて長い長い時が流れてるが、また再開するつもりでいる

単純に「こうあったらいいな」で進めているクラブサポーターは幾らでも居るが、実現出来ずに振り出しに戻るのが殆ど

浦和やスタンド全盛期の鹿島レベルでなら選手にも観客にも感動は与えられると思う

俺のよく言う身の程ってのはそういう意味だ。

そんな演出をしてきた彼らの人間性は別として、

一人一人がどう思ってようが、とか、そんな意識なんて関係ないじゃん頭数居るんだからって程のレベルで

勢いに任せて何か出来る程の域に大宮の選手・フロント・観客(数も意識も)はまだ達してないんだよ

これを読んで、染める事に本気になった人、俺は幾らでも協力するよ

それにはかなり地道な、色んな土台作りが、待ち構えてるって事を理解して欲しい

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ファンとサポーター

だいたいこんな感じだろう

ファン:単にゲームを見に行く、またはTV観戦する人

クラブが好きだけどそこまで入れ込んでるワケではない、または「サポーターほどじゃない」と思ってる人

サポーター:ホーム・アウェー問わず出掛けていき、跳ねて声出して応援する人、レプリカ着てる人

なんか見た目ですごいと感じる人

・・・

「日本」でいう所のサポーターとは?

マスコミがJ創成期に作り上げた日本感覚の造語。サッカーを見に来る人は全てサポーターと書いた

ヒドイ時には「生活向上応援サポーター」とかいう広告まで出た状態。なんだよ?その応援サポーターって羅列。。。

とにかく国産牛肉もバレーボールもみんな「J」に影響を受け、「サッカー」受けが良かった時だった

そのサポーター気取りだった若者(俺は当時23)やおねーちゃんは消え去ったが今でも使い古しで構わないとばかりに使われる

フットボールファンにとって嬉しくも悪しき流行が生んだ名残りは「ファン・サポーターの皆様へ」っていう

掲示物かなんかに今でも見て取れる

日本での使われ方に疑問を感じているので俺は自称「ファン」であり、みんなの事も「同じファンじゃん?」と呼び掛ける

サポーターの本来の意味までココで書くまいと思うが、支えるって事はすんごく辛く、苦しく、大変な事

感覚を突き詰めて、狙う以外の事全て犠牲にして得られる僅かなシアワセの為に生きる

今じゃ「俺はサポーターです」というヤツには呆れを通り越して苦笑いしちゃう程度だけど、

正直、代表のゲームで「自称Nipponサポーター」さんを影で何人ぶっ飛ばしちゃったことか

・・・

俺の思うサポーターってのは大宮で言えばサポスタのみんなや、クラブにチョクで関わるみんなの事であり、

4年間隔で究極の人生を送り続ける人であり、人生・生活自体を賭けてしまう人のこと

2003年、経緯はここのリンクHPで見て欲しいが、そのサポスタになってみた

ぶっちゃけ、大宮に興味がない人も居たし、フットボール自体に関心がない人も居た

それでも、やっぱ、彼ら彼女らは俺からすれば真の大宮サポーターだった

???

意味不明な部分があると思うがこれは多分、経験しないと出ない結論だと思う

なんといっても印象的だったのは、楽園のピッチレベルで聞くみんなの声援

選手でもないのにマジで有難いと思ったのと同時に

今までチケットをもぎって貰ってスタンドへ入れる身分であった事に感謝の気持ちを抱いた

・・・要は

他人から認められる何かを持つ人がサポーターだと

自分で言うんじゃなくって、人からサポーターだと言われる存在こそがサポーターだと

俺の中で、サポーターっていう特別な存在においては上中下のランク付けもない

色んなタイプのサポーターに出会ってきたが、強くそう思う

別にココまで追求するレベルの話じゃないのかもしれないが、

かけがえの無いものを捨て切れる度胸と、

完全無欠の状態を自ら作り出すパワーと、

すんごく色んな孤独に打ち勝つ精神を、

感じる事が出来た経験があったからこそ・・・特にフットボールの世界でそれを目の当たりにすれば、

とても軽々しく使える言葉ではないと思っている

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2007/06/09

2007テーマ

2006.12.2収録。
風が凄くて聞き取りにくい?よねぇ。
つーかこの後すげ~雷雨!

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2007シーズンへの期待

2006.12.2収録。
インタビュー前に協力者全員に許可を得て公開。
協力してくれたみんな!Thanks!!!

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2007/06/08

心底好きになれるかどうか2

今、クラブや応援に足りないのは原点回帰

例えば・・・

クラブは大宮どころかフットボールに興味の無い人を惹きつけようと行動してる

キャラバンは大歓迎だけど、普段土日にサッカーやってる子供達を予定がぶつかる苦しさがあれど、

トップリーグのゲームに呼ぶ重さ(チャンス)を軽んじて、

固定として掴むのが難しいシルバーや区民の招待キャンペーンを張ったりする

地域のFCやスクールに大会の無い期間に1回ばかし練習を休んでもらって

招待を呼び掛けて手厚い対応をすれば、もれなく財布の紐を握るお母さんが付いて来る

チケットがペラペラな大宮に出来て、プラチナな浦和に出来ない事のひとつ。

それを今季の集客ヒントとして松崎さんに言った

ようは。

大宮に興味のある人、応援する事に興味の出てきた人、安くツアーを探す人ってな括りで

それぞれ計画された展開をするのがベストだと感じる。それを今までクラブに言ってきた

俺が受け持つのは(受け持つべきは)応援に興味がある人であり、その人等が望んでる事を形にする事

でも。

まだまだ、そういう根付かせて創り上げる段階を飛び越えて世間一般のJクラブになりたがってる、

またはJ1のステイタスに身を委ねたい身の程知らずな意見が多く、独りよがりには聞く耳を持てない状態。

そう突き放せばスタンド事情に首を突っ込んだり、挙句の果てにはゴール裏の体制非難に摩り替わる

クラブや選手を支える前に、自分ありきの意見しか出てこない。蓋をされた沈黙が渦巻く空気を創り上げてる

俺からすればそういう事なんだよ。

そういう俺の考えが、纏まって何かをしよう!という事のストッパーになってるのかも知れないが、

(俺のところまで話が上がってこないのは、俺が無意識のうちにそういう印象を与えてるってのも承知してる)

その何かのネタが実はクラブあっての事ではなく、自分の身の回りから入りたがる状態だってのは昔から変わらない

人が入れ替わって過去と同じ事を考える。で、それを伝えてくる。

実はクラブもそうじゃない?

社長や事業部長がここぞっていうタイミングで変わるからいつまでもゼロスタート

大木オーナー時代に俺は訴えた。でも全く活かされない経営事情・運営事情

それをチョクで言おうとしても、さすがに親会社の壁は俺のようないちファンには厚かったんだけども・・・

脱線した。

冷静に考えて今は何をしなきゃいけないか、

今は遠回りでも結果的に進歩が早いと思われる事に手を付けづらいと考えちゃう仲間(ゴール裏で時間を共有してる人々)が大多数

大宮に殆どの時間を割けるファンがわがままに動きたがる

そりゃ俺だってそうしたい。

でも俺は既にアマチュアからプロになる姿、トップリーグになる姿を拝まさしてもらった

また、それを見てきたから割り切れるってのもあるんだよな・・・

積み重なって重みや味が出るのが歴史であり魅力であると思う

大宮はみんなのモノであって自分が熱中出来てる時に優勝を望むような意識ではホントの意味で大宮に貢献出来ないと思う

そういう意味で自分の役割っていうか、割り切りっていうか

楽しみを我慢出来る人が増えないと色んな意味で強くならない

我慢して金を払う必要はないとか、楽しみを奪われたくないのもよく解る

だけれども今大宮にしてやれる事を考えたら、順番がちょこっと違うかなと思える

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心底好きになれるかどうか1

応援するキッカケは何だったか?

長く見てれば見てる程、自分自身に問いかける事が多くなる、と思う

まず新聞(Web)→TV→(グッズ購入)→スタジアム観戦ってのが一般的な流れかな?

大宮の場合、招待券を貰っていきなりスタジアムってパターンも結構耳にする

それで通うかそれっきりか。すんごくハッキリ分かれるのも大宮

チームは大したことないけど大宮公園が気に入った(実はバイトのねーちゃんが気に入った)、選手が気に入った・・・等

最初は小さかった気持ちを駆り立てたのは何だったかを忘れないように努力すれば(楽しもうとすれば)

そんな気持ちを持たせた大宮に僅かながらでも支えられてる(拠り所にしてる)自分が居る事に気づく

支え返してやりたいと思うようになったら、もう抜けるのに一苦労すると思う(ある意味、忠誠心っていうか)

支え返す第一段階として、更なる時間と金を使ってアウェーに行ったり、なんてのがそうかな

いつもより大きめの代償を払って見に行った(行ってやったって感覚かな)ゲームが負けゲームだったとする

もう行かね。と思っていながら次のホームに行くと、ぐっと来る勝ち方をしてくれた

じゃあアウェーで勝つのってどんな気分なんだ?と思えてきたりする

あとはみんな知っての通り

一週間の精神状態を左右されたり、普段やりもしない事にチャレンジし始めたり・・・

マフラーや旗を買った、ゲーフラを作った、フットボールでなきゃ行かない場所に行く等

それはそれは見事な位に染まってる自分が居た、っていう状態になる

だから。

俺が思うに負けて「金返せ」ってのはファンじゃない

フットボールを金の価値観に置き換えられるヤツはまだまだ客意識が強くって、

ファンという程ハマッてなんかいない

何でもいい。車・バイク・酒・女(男)その他。

心底好きなら使う単位が一般的なレベルと違うハズだし、使い込んだ自分はそれで納得出来る、してるハズ

人間って他人が「はぁ?」っていう事やモノにのめり込む性質もある生き物だと思う

本人はそれでシアワセ。それを見てる方も苦笑するくらいシアワセオーラが出てれば本物だと思う

では。

大宮に対して感情をぶつけるのに何が必要なんだ?って深いトコに辿り着いたとする

そこから愛情表現が形作られる

例えば:ゲーフラはどうやって作るんだ?となった場合

そこで初めて水性ペンキが高い事やら、布のメーター単価やらを知ったり、

小学校の家庭科以来ミシンに触ってみたり、ドイトやロジャースで塩ビパイプやガーデニングポールを覗いたり・・・

大宮っていう存在がもたらす事の大きさに気付く

曖昧ながら愛情表現をしようともがく間に、実はすでに愛情そのものがどっしり芽生えてて自分を突き動かしてる事に気付く

そうやってファンになったんじゃない?

だから基本的には。。

同じモノが好きで集まった人間同士ならすぐ打ち解けられるハズだし、

どんな些細な事でもいいからお互い協力して勝った負けたを楽しみたいと思うハズ

自分の荷物を被せてあった隣席を譲るなんてのもそうだと思うし、

普段参加しない拍手を隣や前の人についてやってみた、なんてのもそう

そういう「意識」が応援の意識の基本的な、ごくごくフツーな状態だと思ってる

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再開。

あくまで個人的な応援ポリシー他を一方的に配信するブログ。

過去に国営掲示板、自らのHPでも大宮に関する思いを綴ってきた。

正直、俺がORANGERを作った意図からすれば2005年時点で

この集団の存在意義は無くなったと思ってる。

だけれどもレンジャーっていう集団として意識し続けなきゃいけない責任っていうのは、

むしろ膨らんでいる。

そこで。

個人として何が出来るかっていう選択肢のひとつがこのブログ。

ここで書く文体・スタンスは昔と同じにして、

ネット上では本音で言いっぱなしにするのがベストだと思ってる。

これは過去の経験から。

・・・・・

さて、ブログにした意図。

自らが楽しみ続ける為に「仲間」が出したヒントを活かしてみよう、

ヒントされた事に反論のアタマを持って自分唯一の大宮との接し方を探してみよう、

・・・っていう健全な精神状態の「仲間」に、とてつもなくデカイ愛を込めて送るブログ。

大宮の為に何かをし続けたいという人や、大宮をずっと見守っていきたくなった人に

大宮の応援創成期から関わった人間がどんな考えを持つバカかっていうのをアピールしときたい、

また、しとかなきゃと思ったんで、またネットで語りかける選択をした。

それと。

次から次に出てくるネガティブでチキンなヒガミ屋さん達が

Webの仮想空間で勝手に人様の人格を作り続ける事への反発。

ちなみに昔、国営掲示板に見たくないTVは消しゃあいいと書いた。

ネットが出来てからそういう奴等が要らない摩擦や面倒を作り上げてきたワケ

だから受け取ってもらうつもりはないし、状況を正確に把握しないまま公なネット上で意見するような、

まずは文句ありきの輩は「聞く耳」ってのを持ってないから解って貰わなくって結構だし

「自分の考えに同調しない人間を突き放してる」とヒガむなら一層ヒガめばいい

数年周期で出てくるバカを何度も正面切ってネットで相手してきた俺はそう結論してる

これを読んで怒りがこみ上げてるお前だよ。お前

・・・・・

念を押すために自分の考えを残しておく。

ゴール裏っていうよりスタジアムでは金さえ払えば誰でも平等に、自由な見方で観戦出来るハズだと思う。

じゃあ自分が参加してきたゴール裏って場所は何なんだ?

拍手や声を出して応援して浮いた経験を持ってる人や、じっとして見てられない人が

集まってくるだけの場所で、単に応援してる自分自身が見る楽しさを増幅させる場所に

過ぎないってこと。

だけど選手生活さながら自分の生活を賭ける、なんて具合にハマっちゃうと色々必死になってくる

犠牲にする事が増えてくると何かしら見返りを強く要求するようになる

また、そこに応援する側の責任なんて事を感じるくらいにバカになってくると

何でもいいからクラブを支えてみようっていう動きに変わる

そんな感覚でやってる奴は、そうでない感覚の奴に疑問を抱いたりする事もある

また当然、その逆の感覚・感情もある

そんな色んな想いを少しずつ消化しようとする事でクラブ愛が生まれてくる

そんな想いが形になればなおさら

それって誰からも邪魔されるべきものではないし、邪魔するべきものでもない

感覚が違っても自分と他人がやってる事の共通性に気付いて

理解を示して自分なりの答えを見つけようとする動きと、

感覚が違うからと自分の主観で客観的に見据える目を持っていないまま、行動に出さないまま、

ずっと同じ事をする(考える)動きと。。。

千人居りゃあ千人分の考えがあるが、応援するそのゲーム毎に

自分が出来得る範囲でベストの選択をして応援する

それでいいじゃん

立って見てる事に、座って見てる事に、文句を言われる筋合いはない

文句が出る程度じゃ大宮は強くならない

メインスタンドに、バックスタンドに、ゴール裏に。

そのそれぞれに責任を持たせようとしちゃダメだし、

その場所に対して「配慮」出来なきゃダメだ

ファンであるならば。。。意識を、いや、気持ちをひとつにするべきだ

・・・・・・

個人的感情を言えば

だからゴール裏の邪魔をすんなと

スタンドには応援する感情の熱ってのがなきゃいけなくて、

それを作る意識がある人間が集まるのがゴール裏だと

あと大事なのは

ゴール裏で応援する奴はゴール裏は特別だって意識を捨てろと。。。

思うワケ。

・・・・・・・

・ネットで建設的な議論をするには、言いだしっぺが行動して受け手と一緒に形にしていかないと結論しない。

 だから現場主義であり、ネットの限界を知る俺は過去の失敗からここで意見を集めるなんていうバカな事はしない。

・ずっと前から俺がネットで書いたり、スタンドで言って来た事は、ここでも何一つひっくりかえってはいない。

 俺のHP時代のHometownSpirits(元々は1999年から2004年まで続けた観戦回想録)参照

・・・・・

*国営掲示板・・・クラブ公式HPに掲示板があり、当時、公式HPを国営と仲間が表現した事からそう呼んだ

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