勝たせるとは?3
~根拠の無い自信・確信~
何事でもそうだと思うがポジティブな感覚を持ち続ける事はすんごい重要な事だと思う
ことフットボールに関しては番狂わせを期待しやすいスポーツだ
よく上位・下位なんて言葉で表現されるが、
90分の恐ろしさを知ってる身であればそれが無意味な表現だって事は容易く理解出来るハズ
ギリギリの闘いの勝負を分けるキーは気力
上手い選手が居ようがコントロールに秀でた指揮官が居ようが、
凡戦カードと揶揄されようが大一番ともてはやされようが、
「気」が弱ければミスが出るし、「気」が強ければ勝つと
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見てる側も同じ
精一杯応援したのに、勝つ為の何かが足りずに負けた。と思ったとする
それは多分、そのチームに対して信じ切れる気力が足りてなかったり、
「よし。行ける。」って思いながらもどっかで疑いを持って応援したからに他ならないと思う
PKを取られても入らないと信じ切る
相手にリードされても追いついてひっくり返せると信じ切る
傍観者になったらその時点で負けだと
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自分の熱い想いを選手やクラブに伝えたいという気持ちが膨らんだなら、
何か行動に出るのが普通のファンの衝動だと思う
見方は人それぞれ、ホントにそうだとは思うんだけど
そのクラブに対して愛着があるなら。。。
いつも、何かが足りないと、
これでもまだ100%じゃない、120%じゃないと。。。思ってみる。
そういうひたむきさって大事じゃないか?
選手やクラブも見る側に求めてるんじゃないだろうか?
満足したら進歩はない
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よく、スタジアムに来て応援して下さいと選手のコメントが出るが
それは俺達選手の味方になってくれっていう意味なんだと
俺自身はいつからか捉えるようになった
TVを見てて支える事は出来ないし、その場に居ないのに支える行動や声を送る事は出来ない
スタジアムで送る念と、違う場所で送る念は意味が違う
信じる気持ちを塊で送れるか、代償を怖がって選手や他人任せにするか
究極の選択を乗り越えて、選手と闘う選択をした事で得られる妙な満足感に邪魔されず
ただ、それだけ(勝たせる事)の事に無心になって、
自らのほんのちっぽけな確信を、一緒に闘う仲間と共に最大限の確信の塊にしてピッチにぶつける事が出来るかどうか
でもさ
誰もがずっと10代、20代でいられるわきゃないじゃん?
だから犠牲に出来る事がだんだんと減ってきた時。。。またはそう感じてきた時。。。
自分の出来る限りの方法で参加してみる
一度でも限界にチャレンジ出来たなら、その記憶や熱い心は簡単になくならないって
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まぁ、
当然ながらそういう経験をしなきゃ理解出来ないとかいうつもりはないし
あくまで自分の場合はこうだったっていう、ヒントなんで。
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その重要性が痛いほど理解出来たのは、
ヤバイ思いをしながら異国で「支える事」の本質を身体で理解した何年もあと・・・
ワールドカップにミーハー的な要素が加わった日本でパブリックヴューイングなるものが広まった頃だった
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